BLACK-AND-WHITE / ANOTHR STORY OF THE GATCHAMAN " Whose Side Are You On ? " <1>  赤外線暗視機能を持つバイザーを通してもその通路の闇は濃く、ともすれば足元さえおぼつかない。わずかに枝道と思しき長方形の陰が左右に並んでいるのが見てとれた。 (行けるか?) 健はブレスレットに組み込んだ特殊GPSで枝道の方向を確認する。このまま真直ぐ進んでいてはすぐに奴らに追いつかれてしまう。なんとか二手に分かれなければ。その枝道はうまいことに外部への通路まで延びているようだった。 「ここに通路があるぞ。」 健は背後のジュンにそう囁いた。 「こっちも真っ暗ね。」 「ああ。やはりこの建物はおかしい。外見は普通のビルと変わらないのにYコードのGPS がうまく作動しない。それに誰かが追って来ている・・・。」 「そうね・・・私も気配を感じるわ。でもなぜ黙って追って来るのかしら?」 「分からない。だが二手に分かれよう。このままでは追いつかれてしまう。」 背後に感じるその気配は確実に2人との距離を縮めつつある。熟練したものでなければ感じることもないであろうわずかな気配。事実、ビルの中に潜入し、この通路に出るまで、健すらもその気配に気付かなかったのだ。 (しまった!) そう思った時にはただもうこの真っ暗な通路を奥へと進むしかなかった。いや、誘導されて進まされているのかも知れない。ならばなんとか活路を見い出さなければ。 「俺はこのまま先へ進む。ジュンはそっちへ行け。何とか外へ出られそうだ。」 自分が囮になればきっとジュンは逃げられる。気配を読む限り、追っ手の人数は多くはない。 「気をつけて行け。無理はするなよ、ジュン。」 「ええ。健、あなたも気をつけてね。」 ジュンの体温が闇の中に消えるのと同時に背後の気配は急速に接近して来た。人数が減ったのが分かったのだろう。 (来たな!) ぴたりと半身を壁面に付けて、健が迎撃態勢を整えたその時、鋭い閃光が走った。まるで超新星の爆発を思わせる閃光弾の強烈な光に、一瞬たじろいだ健はそれでもかろうじて弧を描いて迫る鋭い切っ先をはねのけた。 「!!」 攻撃レンジが読めない。だが、留まっていてはやられる。これは本物の殺気だ。 一か八か、白いマントを翻して健は一気に相手の懐へ飛び込んで行った。バイザーにぼうっと人影が映った瞬間、身を屈めてそいつを床に倒すとそのまま覆い被さってブーメランの鋭い刃で喉笛を切り裂く。闇の中を血の匂いが広がって行った。嗅ぎ慣れた匂い。死の匂い。 健達の身体に叩き込まれたマーシャル・アーツは一撃必殺の技だった。殺さなければ殺される状況下での究極の二者択一ならば、生物は常に生き残る方を選ぶ。そこには迷いも躊躇いもなかった。機械的とも思える動きで、健は同時に襲って来た2つの影を交し、蹴り上げ、確実に喉元を狙って倒していく。 (あと1人だな?) 気配がそう教えている。じりっと相手が後退したのを感じて、それを追おうとした時、床に広がった血溜まりに足を取られて態勢が崩れた。あ、と思う間もなく頭上から迫って来た切っ先を左腕で払う。致命傷を受けてはならない。例え腕を切断されようとも。 刃はブレスレットに当たった。その刹那、健は3600FMHZの高周波と虹色の輝きに包まれた。 「くっ!」 経験したことのない恐怖と慣れた感覚ー変身ジェネレーターが作動した時に感ずるあの言いようのない高揚感ーに必死に抗って、握りしめたブーメランごと相手の胸に飛び込んで行く。最後の影は声にならない叫びを上げつつも健の首をがっと掴むと断末魔の力で絞めあげた。凄い力だ。だがやがて指から力が抜け、そいつはスローモーション・ピクチャーのようにゆっくりと倒れて行った。やった! だがもはや立っていられない。落下するような感覚に襲われ、膝を折った健だったが不思議ともう恐怖は感じなかった。 ―待てよ。この感覚は味わったことがある。― そんな思いがふと脳裏をかすめた。 初めてジェット機で飛んだ日の空の蒼さ。複座の練習機で体験した恐ろしいほどのG。シュミレーターで作られたものとは全く異質の、それは圧倒的な、畏怖すべき力だった。降下し、上昇する。ただそれだけの操作がセスナ機のようにはいかない。コントロール・スティックを握る指につい力が入ったのか、機首の仰角が大きくなった。 ―「前席、上昇角度に注意しろ。スティックを引くな、スロットルを戻せ。」 スロットルを戻したら失速するのではないか?一瞬の迷いだったが、ターボジェットエンジン搭載の高速機は放たれた矢のように空の高みへと急上昇して行った。 「!!」 視界が急速に狭くなる。身体はシートに押し付けられたまま全く動かない。青く輝いていた空が、ふっと暗くなったように思えた時、練習機は急上昇から徐々に水平飛行へとその姿勢を変えていた。 ―「大丈夫か?コントロールできないまま急上昇する奴があるか!墜落するぞ!」 後席でデュアル・コントロールしていた教官がインカム越しに怒鳴ったっけ。 ―「ブラック・アウトの状態になったらおしまいなんだぞ!」  あの時と同じように視界がどんどん狭く、暗くなる。身体はやはり動かない。 ―ああ、これがブラック・アウトか。ならば俺は墜落するんだな。― そして、健は意識を失った。 <2>  ユートランド・シティ郊外の海岸近く、切り立った崖の上に建つ南部博士の別荘に健とジョー、そしてジュンの3人が呼び出されていた。 「あれ、竜と甚平は来てないのか?」 「甚平は竜に釣りに連れて行ってもらうって出かけたわ。」 そこへ南部博士が入って来た。 私邸だというのに、いつものように居ずまい正しくスーツを着ている。 「急に呼び出してすまなかったな、諸君。」 この人はこんな堅苦しい格好で、肩が凝らないんだろうか?と、健は何となくおかしくなった。そう言えば博士がラフな格好でいるのは見たことがない。もうずいぶん長いつきあいなのに。だが、そんなことはおくびにも出さず、尋ねた。 「何かあったのですか?博士。」 「諸君、まずこれを見てもらいたい。」 モニターに写し出されたのは一人の男の写真だった。時代がかった将校服のようなものを着こみ、無表情にテラスに立っているその男は、非常に稀れではあるがTVニュース等にも登場する。ただこの写真は粒子が粗く、あまり鮮明ではなかった。 「これはドーマニア国の大統領じゃないですか?」 健が言った。 「しかし、ずいぶんと写りの悪い写真だな。」 と、ジョー。南部は頷いて続けた。 「これはISO保安局のエージェントが密かに撮影したものなのだ。なにしろ大統領は滅多に人前に姿を現わさない。しかもこの写真を送信した直後、このエージェントは消息を絶ってしまった。」 「まあ!」 「つまり捕まっちまったって事ですか?」 ジョーの眉根に皺が寄った。南部はいくぶんうつむくとモニターのスイッチを切り、そのまま窓辺へ歩み寄る。そして陽光を反射する海を眺めて目を細めた。 「おそらくな。いや、たぶんもう生きていまい。これまでも生きてドーマニアから戻ったエージェントはいないのだ。」 健は南部のこの表情を知っていた。もう9年も前になる。夜も遅い時間で、ベッドにいた健を「起きなさい、健。お母さんが君を呼んでいる。」と揺り起こした時も博士はこんな目をしていた。 「それで博士、我々の任務は?ドーマニアで何を調査するんです?」 「うむ。」  窓から振り向いた南部は、もういつもの冷静な表情を取り戻していた。 「ドーマニアは国連非加盟国だ。だからこのエージェントの消息を公に追及することはできない。しかもユーロ条約機構と相互不可侵条約を結びながらも、非常に厳しい航空管制を敷いているので、科学忍者隊と言えどもゴッドフェニックスで向かえば領空を侵犯したとして攻撃されるだろう。」 フッと不敵な笑みを浮かべて、ジョーが言った。 「構うことはねえや。どうせ背後にはギャラクターがいるに違いない。叩いちまえばいい。」 「待ってよ、ギャラクターがいるかどうか分からないから調査してるんじゃないの?単純ね、ジョー。そんな事をしたら国連軍と戦争になるわ。」 「ジュンの言う通りだ。背後関係についても調査は慎重に、そして極秘裏に行わなければならない。そこで今回は君達3人に潜入してもらいたい。もちろん竜と甚平も待機し、要請があり次第ゴッドフェニックスを向かわせる。」 ジュンがいつもの癖で、人さし指を頬に当てたまま尋ねた。 「でも博士、どうやって入国するんです?ドーマニアは閉鎖的な独裁政策をとっている国でしょう。観光客っていうのも不自然ですし・・・。」 南部は初めて微笑むと、テーブルの上のファイルを示した。 「これを見たまえ。明後日からドーマニアで開催される国際親善スポーツコンペティションの資料だ。」 「なるほど。ドーマニアは金メダルホルダーの選手が沢山いるスポーツ王国でしたね。でもこのコンペティションと俺達とどういった関係があるんです?」 資料をパラパラとめくりながら尋ねた健に、意外な答えが返ってきた。 「君達にはアメリス国の代表選手としてドーマニアに行ってもらう。」 「なんですって!?」「そんな・・・」 3人は思わず顔を見合わせた。 <3> ー「アテンション・プリーズ。ドーマニア行き特別チャーター便にご搭乗のお客様、ただ今よりご搭 乗の手続きを開始いたします。7番カウンターへお越しください。」ー  アメガポリス国際空港の出発ロビーはいつものように混雑している。その一角にある特別室で健、ジョー、ジュンの3人はISO保安局アメリス支局のエージェントから選手として入国するのに必要な物品を受け取っていた。 「南部博士に依頼された物はすべて揃えてあります。パスポートとビザ、これがユニフォームと式典用のブレザー、そしてこれがアメリス国選手団のIDです。通信機や武器の類は必要ないとのことでしたので準備していませんが、大丈夫ですか?」 「ありがとうございます。ご心配なく。通信機などは博士が用意してくれましたから。」 まだ年若いがっちりとしたエージェントは、人懐っこい笑顔を見せて挙手の礼をとった。 「それではここで。選手団に役員として同行しているグレン少佐が現地でお待ちしています。お気をつけて。でも正直なところ羨ましいですよ。自分もテコンドーには少々自信がありましたので、もしかしたら・・・と思っていましたから。」 エージェントが部屋を出て行くのと同時に、 「ああいう可愛いのがいの一番に狙われるんだろうな。」 と、ジョーが笑った。思わずつられて健もジュンも笑い出す。 「正義感旺盛、一本気で、任務に忠実・・って、まるで誰かさんみたいだよな?」 「ま、そうかも知れんが俺は今回は補欠だ。それよりおまえみたいに可愛くないのを狙ってくれるかどうかの方が心配だぜ、ジョー?」 「可愛くない分はシューティングの技術でカバーするわよね、ジョー?」 「任せとけって。見事敵のハートを射抜いてみせるぜ。」 ジョーは茶目っ気たっぷりに指でバーンとやって見せた。 「しかし選手と言っても―」 「うむ。実は選手でなければ困るのだ。これを見たまえ。」 南部は再びモニターのスイッチを入れた。写し出されたのは十数人に及ぶ青年達だった。みな一様にスポーツマン然とした身体つきをしており、中にはかなり著名な格闘技選手もいる。 「彼等はみなドーマニアとその周辺国で開催されたコンペティションに参加し、その際に失踪、またはドーマニアに亡命してしまった選手達だ。」 「あまり評判の良くない独裁政府に亡命なんておかしいわ。」 「でもよ、ああいう国って言うのはスポーツ選手には天国だって話も聞くぜ。生活は国家が見てくれてただ好きなスポーツに打ち込んで、メダルを獲れば英雄だそうだ。イデオロギーの違いなんてのは、それぞれの勝手だからな。」 ちょっと皮肉な口調でジョーが言う。何の心配もなしに自分の好きな事ができたら、俺は何をやるだろう?やはりパイロットだろうか?健はふとそんなことを考えた。 「確かにジョーの言うことにも一理ある。だが国も人種も違う彼等が亡命以降、家族にさえいっさいコンタクトを取らないと言うのは不自然だ。」 「家族にも?それはやはりおかしいですね。連絡が取れない状況におかれているのかしら?」 本当の家族がいないジュンだが、だからそれがどんなに大切か、が分かる。もし私にパパやママがいたら、絶対にそんなことできないわ・・・と、ジュンは思った。 「彼等がどういう状況にあるかということはもちろん調査してもらいたい。そしてもう一つの任務は、ドーマニアが彼等を使ってスペシャル・フォースの開発を進めているらしいとの情報の調査だ。」 「スペシャル・フォースって何ですか、博士?」 真直ぐに見つめる健の青い瞳を見つめ返して、南部は静かに言った。 「選抜された少数精鋭のメンバーを強化し、調査、偵察、局地攻撃などの特殊作戦に投入するための部隊だ。特殊な装備とともにマンパワー・コストに優れた、例えるならかつてのグリーン・ベレーやSAS等のように効果的なリーサル・コマンドとしても機能できる部隊がスペシャル・フォースだ。」 南部はいったん言葉を切り、そして、言った。 「つまり君達、科学忍者隊のような特殊作戦部隊を作ろうとしているのだ。」 「科学忍者隊のような?」 ジョーとジュンはそう言った健の顔にほんの一瞬だが、鋭い緊張が走るのを見た。きっと南部も気がついたに違いない。だがそれを無視するように事務的に話を続けた。 「そうだ。ジョー、君はエア・ライフルの選手としてドーマニアが欲するような活躍をしてくれ。まあ君の射撃の技術なら間違いなくメダルを獲れるだろう。健とジュンは調査とジョーのバックアップだ。危険な任務だが、君達ならできる。頼んだぞ。」 「ラジャー!」 3人は声を揃えて答えた。そして、そう答えた健はもういつも通りの健だった。 <4>  3人は手早くそれぞれの荷物に渡された物品をパッキングしていった。 「おい、パスポートとビザを持って外国に行くのは久しぶりだな。」 ジョーがまたクスッと笑って言った。無理に冗談めかしているようでもある。ジョークを言えばいつも通りに返してくる健だが、何だか違和感があった。ジュンも同様のことを感じているらしい。常に絶対の自信と強固な意思で決して弱みを見せようとしない健。しかし2人はアンビバレンスな健が存在する―健自身は肯定しないだろうが―ことを知っていた。 (危なっかしい奴だ。)と、ジョーは思う。 (バランスを崩したら、どうなるか分からない。)と。 だが、そうした危惧を表面に出す2人ではなかったし、健の強さにはやはり全幅の信頼を寄せていた。 「そうね、何だか面白いわ。でも私のパスポートって・・・あー、やっぱり!」 「どうしたんだ、ジュン?何がやっぱりなんだ?お、MISS JUN NANBUになってるのか。どうせならMRS. JUN WASHIOにしといてくれれば良かったのになあ、ジュン?」 「あら、私は別にMRS. JUN ASAKURAでも構わないのよ。」 「おいおい、ジュン!」 すました顔でジュンはジョーを交わしてしまった。笑いながら健はそんな2人を促した。 「さあ、行こうぜ。乗り遅れたら大変だ。ジョー、エア・ライフルを忘れるなよ。なにしろ浅倉選手は金メダルの有力候補なんだから、な。」 「ふん、補欠の鷲尾選手に言われたかないね。」 「ははは。」  そうだ。俺達はスポーツコンペティションの選手としてここへ来たんだ。先に到着していた選手団と合流して、グレン少佐に会って、それから開会式だ。ああ、あのブレザー! 「なあんだ、健。ネクタイはどうした?」 「ネクタイはポケットの中だ。」 「呆れた奴だな。どれ、貸してみろよ。俺が結んでやる。ジュンにどやされないうちにきちんとしとかないとな・・・。」結局、あれはジョーが結んでくれたんだっけ? 「苦しいからそんなにきつく締めるなよ。」 「タイって言うのはな、ピシッとしてなきゃみっともねえんだよ。」 健は腹が立ってしょうがなかった。いまいましいネクタイめ、こんな物の結び方なんて誰も教えてくれやしなかったぞ。だいたいこんな物に何の意味があるって言うんだ? それにしても苦しい・・・息ができない・・・。 「やめろ、ジョー!苦しいじゃないかっ!」 健はそう怒鳴って、喉元の手を思わず払いのけていた。 「気がついた?」 落ち着いた声がそう問いかける。―え、ここはどこだ?俺はどうしたんだ??―  そこは何故か懐かしい感じのする部屋だった。暖かいクリーム色の壁、古風な木製のサイドテーブル、そしてベッドの横のやはり古風な椅子に腰かけている中年の女性。 (誰だ?)―どこかで会ったことがあったっけ?― 淡いピンクのブラウスに白いエプロンを付けた女性は健をじっと見つめている。 (誰だっけ?)―いや、よく知っている人か?― 「良かったこと。気分はどう?」 その女性は優しく微笑むとほっそりした指で健の髪をそっと撫でた。懐かしい感触だった。 ややあって、健は雷に打たれたようにとび起きて叫んだ。 「お母さん?生きていたのか?お母さん!」 「まあ、何を言っているの?」 夏の空の色をした彼女の目は優しく笑っている。 (いや、お母さんは死んだんだ。この目で見たじゃないか。)―では、これは誰だ?― 「お母さん、お父さんが死んだんだ。また俺達を置いて行ってしまった・・・やっと会えたのに・・・ ひとりで行ってしまった・・・お父さんも・・・。」 口に出すと、胸が締めつけられるように痛んだ。辛い、苦しい!誰か、助けて!いくら歯を食いしばってもこみあげてくる嗚咽を止めることができない。 (黙れ!何故こんなことを言う?)―でも、このままでは苦しい。― 「そう、でも大丈夫よ。私はここにいるから。」 その女性は健を胸に抱くと、幼い子供をあやすように背中を軽く叩いた。 (嘘だっ!)ーお母さんは死んだんだ。― 「さあ、何も怖くないからもう一度おやすみ。」 (ち・・が・・う・・)―俺を置いて、ひとりで逝ってしまったんだ。―  <5>   「ジョー、健から何か連絡はあったかね?」 「それがまだ何も・・・。」  アメリスのユニフォームに身を包んだジョーは、グレン少佐の問いにそう答えるしかなかった。ジョーはエア・ライフルの正選手として、今朝から開始された予選に出場している。コーチに扮したグレン少佐と選手であるジョーが話していても不自然ではないし、またコンペティションとその周辺の情報収集をするには、エア・ライフル競技の選手という役回りは非常に都合が良かった。この競技は集中力が勝敗を左右する。だから選手はそれぞれのコンセントレーションのためにしばしばアリーナから出て行くことがあり、ジョーが途中でいなくなったとしても大して不自然なことではないからだ。 (ちくしょう、健の奴。どこへ行きやがった?)  開会式に続くレセプションが終り、宿舎に引き上げた後、健とジュンはエージェントが消息を絶った地点へ調査に出かけた。 「ジョー、明日から頑張ってくれよ。メダルは大統領がじきじきに授与するそうだ。大統領と直接コンタクトするチャンスはその時しかないからな。」 「ああ、任せておけよ、健。」 「予選で敗退なんていやよ、ジョー。」 ジュンの冗談に健はいつも通り屈託のない笑顔を見せた。10年前に初めて会った時の、少年だった健と少しも変わらぬ笑顔がそこにあった。 (「はじめまして、ジョー。僕はケン、鷲尾 健て言うんだ。」) (俺はあの時、握手もしなかったな。)そんなことをジョーはふと思い出していた。部屋を出て行く2人を見送ったジョーは、靴も脱がずにベッドに横になった。目をつぶると、また少年の日が蘇る。両親を殺害され、南部に救助されたジョーはそのまま南部に引き取られ、 ユートランド郊外の別荘で暮らすことになった。1年が過ぎた頃、健が南部に連れて来られたのだ。博士は言ったっけ。 (「ジョー、今まで子供は君一人だったから退屈だったろう。今日から一緒に暮らすことになった健だ。君と同じ年齢だから、良い友達になれるだろう。仲良くするんだよ。」) 仲良く、か。あれから10年。俺と健は一緒に暮らし、離れて暮らし、そしてともに戦うことになった。だが、あいつは俺の何なんだろう?そして俺は?あいつにとって俺は何なんだろうか? そんな取り止めのないことを考えているうちに、ジョーはまどろんだらしい。そのまどろみを破ったのはブレスレットの呼び出し音だった。 ―「ジョー、健が!健と連絡が取れないわ!」 ブレスレットの声からジュンの切迫した様子がはっきりと分かった。 「ジュン、そこにいろ。今、行くから!」 ジョーは飛び起きるとエレベーターを待つ間ももどかしく、階段を駆け降り、車をスタートさせた。2人が潜入したのは宿舎からそう遠くないところにある合同庁舎ビルだ。なんの変哲もない殺風景で大きな建物だが、ISOのエージェントはここで消息を絶った。整然とした街路には人影もない。ジョーはアクセルを踏み込むと、ジュンの待つ地点へと車を飛ばした。 「ジュン!」 合同庁舎ビルの裏手に駐車している車にジュンは1人でいた。 「ジョー!健とはぐれてしまったわ。」車から飛び降りざま、ジュンが言った。 「どこで?」 「中よ。誰かに追われて二手に分かれたんだけど、それから連絡がとれないの。」 その時の状況を聞きながら、ジョーは前方から近づいて来る警備兵に気づいた。 (まずいな。) ジュンも彼等に気づき、口をつぐんだ。パッとフラッシュライトの光の輪が2人を照らした。 「そこで何をしている?」 とっさにジョーはジュンを抱きよせて、 「やめろよ!気がきかねえな。見りゃ分かるだろ?」 と、怒鳴った。あっけにとられたように、警備兵たちは顔を見合わせている。 「俺たちはアメリスの選手だ。眩しいからライトを下ろせよ。」 「選手の方がこんな深夜に出歩かれては困ります。宿舎にお戻りください。」 生真面目な顔で言う警備兵を、ジョーはふんっと鼻で笑った。 「宿舎じゃ都合が悪いから出かけて来たんだ。」 「もう!シラけちゃったわ。帰りましょう。」と、ジュン。 逢瀬を邪魔された恋人よろしく2人は車に乗った。乱暴にスタートした車に警備兵が叫ぶ。 「こっちの車はー?」 「知るかよっ。誰かがその辺にシケ込んでるんだろ!」  街路樹の影が後方に飛んで行く。暫くしてからジョーが言った。 「健のことだ。何かを掴んだのかも知れない。連絡を待とうぜ、ジュン。」 「そうね。待つしかないわね・・・。」 ジュンは唇を噛んだ。追ってきたのは大した人数ではなかった。もし闘いになったとしても健があればかりの敵にやられるとは思えない。もっと大きな危険からもいつだって健は帰って来た。今は健を信じて待つしかないわ。 しかし、翌朝になっても健からの連絡はなかった。 <6>  健は眠っていた。左の二の腕から静脈に挿入された留置針を通して点滴されている輸液に混入された沈静剤の作用で、深くはないがかといってはっきり覚醒することもない状態に置かれていた。この状態は人間の心身をもっともリラックスさせ、筋肉の疲労を取り去り、内的なストレスを緩和することは一般の治療においても周知の通りだ。また、両顳かみと左胸、他数カ所にごく小さな電極が装着され、数本のコードがそれらに繋がっている。 「さあ、先程の会話を分析してみよう。」 健が眠っている古風な感じの部屋のとなりには、おおよそそれと似つかわしくない研究室然としたかなりの広さを持つ部屋があり、数人の白衣の男たちが数台のコンピューターとさまざまな機器類のコンソールに向かっていた。 「このサブジェクトは両親を亡くしているが、特に母親とはおそらく10年以上前に死別したと思われる。これはナースを母親と誤認したことからの推論だが、死別以前に母親と引き離された可能性もあるので、確定的なものではない。」 一番年長の初老の男がモニターに再生されている健と女性の会話を拾ってこう言った。 「もっと幼い頃に死別したのではありませんか?ナースを母親と誤認するケースはたいていサブジェクトが幼少時に母親と別れた場合ですが?」 一緒にモニターを見つめる男が指摘した。 「いや、次の会話だ。サブジェクトは母親に父親が、これは最近のことだろうが死亡した事をかなり興奮して話している。『また』と言っているから母親と別れる以前に父親と離別したのだろうが、『置いていかれた』と認識し、それを記憶しているのだから5才前後の事だろう。この時期と母親と離別した時期は少なくとも2〜3年の間隔が空いていると思うが?この時のサブジェクトの心拍数と血圧の変化はどうかね?」 初老の男は機器類のひとつに向かっている若い研究員に尋ねた。 「急激に変化しています。かなり動揺したようですね。瞳孔にもそれが現われています。」 「ふむ。父親は変わった死に方をしたのかも知れないな。」 彼は立ち上がって、眠っている健を映しているモニターをじっと凝視した。白いシーツの下で、逞しい胸が規則的にゆっくりと上下している。時折、まぶたがピクッと動くのは夢を見ているからだろうか? 「『汝は父を殺し、母と結ばれるであろう』か・・・。」 男はそう呟いた。 「教授、それはフロイトのエディプス・コンプレックスですか?」 「その出典であるギリシア神話でオイディプスに与えられた神託の言葉だよ。」 「はあ?」 教授と呼ばれた男の言葉に数人が顔を見合わせた。だがそんな事はお構いなしに彼は別のコンソールに歩み寄るとてきぱきとコマンドを打ち込んだ。一番大型のモニターに昨夜の戦闘シーンが映し出される。暗視カメラで撮影されたものにしては驚くほど鮮明に健と4人のコマンドを捉えた映像である。純白の影が閃くように動くと、次々とコマンドが倒れていく。 「ふん。たかが運動選手では本物のスペシャル・フォースには歯が立たんか。」 彼は別のコマンドを入力した。ズームアップされた健にオーバーラップして、分析データーの数値が次々と表示される。 「見たまえ、諸君。我らがオイディプスのデーターを。このサブジェクトは素晴しい!反射神経、心肺機能、運動能力、戦闘時の判断力、何をとってもまさにパーフェクトだ。いや、やはりこれはISOの南部孝三郎が作り上げた最高傑作だ!」 「では、このサブジェクトは?」 「そうだ。科学忍者隊のひとりに間違いない。」  その頃、ジュンは南部の指示によりドーマニアの外国選手渉外部の担当官と面会していた。 渉外部は昨夜潜入した件の合同庁舎ビルにある。ジュンは可能な限り手がかりを探すことができた。しかし、どこにも健の姿はない。 「それでそのミスター鷲尾が朝から見当たらないというのですね?」 「ええ。彼はエア・ライフルの補欠選手です。今朝から競技が始まる旨は知っていますし、アリーナの控え室も確認済みです。でもまだ現われませんし、宿舎にもおりません。このままではアテンド役である私としても立場が・・・。」 「分かりました。警備隊本部と連絡をとってできる限りの協力をお約束します。しかしミス南部、昨夜もあなたの国の選手が無断で外出していたとの報告が入っています。こう申し上げては失礼ですが、アメリスの選手というのはスポーツマンとしての自覚が足りないのではないのですか?」 (馬鹿、それは私たちよ!) と、ジュンは心の中で舌を出した。 「素行の悪い選手には注意をしておきます。とにかくミスター鷲尾について、何か分かりましたらすぐご連絡ください。選手のIDは携帯しているはずですから。」  夜明けまで健からの連絡を待ったジョーとジュンは、経緯を南部に報告した。 ―「事情は分かった。健からの連絡を待つとして、ジュンは渉外部に捜索を依頼したまえ。今回、君達は正式に選手として入国したのだから、ドーマニアには君たちの身柄を保護する義務がある。これまでの亡命選手や失踪した者についての対応を見ると、一応、国際法には触れていないが、疑問が残る部分も多い。その点もあわせて調査できるといいのだが・・・。大使館には私から連絡しておこう。頼んだぞ。」 南部は意外なほど落ち着いて、そう指示してきた。 「俺達にも言えない裏があるんじゃねえのか?」 と、ジョーは訝しんだ。しかし、2人は南部を信頼していたし、例え裏があったとしても科学忍者隊のメンバーとして南部の命令は絶対だった。 「とにかく私は調べられるだけ調べるわ。健に何かあったとしても、きっと接点を見つけられるわよ。お互いやれるだけの事をやりましょう。健もそうしているはずよ。」 「ジュン・・・分かった。俺も必ずメダルを獲って接点を掴むよ。」 (それが任務だからな。裏があってもなくても関係ないさ。) ジョーはジュンの強さを再認識する思いだった。何よりもまず常に任務を優先させるジュン。男の俺や健が復讐や憎しみのために任務を忘れそうになることもあるのに。 (死ぬなよ、健。ジュンのためにもな。) それがジョーの精一杯の気持ちだった。 <7> 「サブジェクトが持っていたIDをチェックしてみますか?」 ひとりの研究員がそう尋ねた。教授は気のない様子で頷くと、 「どうせそんなものはISOがデッチ上げた偽ものだがね。まあやってみたまえ。」 と答えながら、また別のコンソールに向かって複雑な数式を次々と入力していった。さてこの素晴しい被験体をどうしようか?最高に機能させるために必要なリエデュケーションのプランは?今までと同じでは駄目だ。彼はスペシャル・フォースとしての技術を暗黙知している。我々がこれまでのサブジェクトに対し、なし得なかった知識の手続き化をこのサブジェクトはすでに終了しているのだ。薬物も外科的な処置もなるべく用いたくない。彼を損ねることは極力避けなければならない。しかし、それではどうコントロールすればいいのか?最高のモチベーションは何だ? 教授は立ち上がると再び眠っている健のモニターを見つめた。 「ナース、来たまえ。いくつか質問してみたいことがある。君、意識レベルを30%まで回復するよう覚醒剤を投与してくれ。モニタリングを忘れんでくれよ。」 そして、ドアを開けると健の傍へと歩み寄った。 「君、君、聞こえるかね?」 「・・・・・。」 健の目蓋がゆっくりと開いた。しかしその瞳の焦点は定まらない。 「目が覚めたかね?君の名前は?さあ、言ってごらん。」 「健・・・。」 「健か。健、君のお父さんはどうしたんだい?」 焦点の定まらぬ瞳を宙に浮かせていた健はその言葉を聞くとギュッと目蓋を閉じた。 「死んだ・・・死んだんだ。もう会えない。会いたかったのに、ずっと・・・。」 「目を開けなさい、健。君はお父さんに会いたかったのか?」 「会いたかった。」 「なぜ?」 「なぜ・・・かな?」 「さあ、目を開けて。思い出してごらん。なぜ、君はお父さんに会いたかったんだ?」 健の呼吸が荒くなった。唇が小刻みに震えている。 ―「サブジェクトの脈拍と血圧が上昇。沈静剤を投与しますか?」 耳に入れたイヤホンを通して研究員が尋ねた。彼は首を横に振ってそれを制すと、再び健に質問した。 「健、君はなぜお父さんに会いたかった?お母さんはなぜ死んだ?」 30%の覚醒状態は通常の睡眠におけるレム睡眠と同様、覚醒に近いものだが実際にはその逆であり、この時期に目を覚まさせることは非常に難しい。しかしこの状態でも話しかけたり質問したりすると無意識のうちに受け答えをする。深層心理にあることをそのまま話す場合が多いので、かつては真実を語らせるために強制的に不眠を強い、限界点でこうした状態を作り出すことが行われていた。 現在では睡眠薬や覚醒剤を用い、比較的安全にこの状態を再現できる。しかし、心理療法のひとつとして用いられる退行催眠と同様、深層下にある本人もまったく自覚しない記憶、欲求や行動を引き出してしまう危険性もある。  悪夢に追われるように苦悶の表情を浮かべた健は突然、叫び声をあげた。 「殺してやるっ!」 そして信じられないほどの俊敏な動作でベッドから跳ね降りると、教授に掴みかかった。カッと見開いた目が激しい怒りにギラギラと青く光る。 「あいつのせいでお母さんは死んだんだっ!」 ―「ニューロン・ブロッカーを使用します!」 イヤホンの声がそう言ったと同時に、 「うっ」 と、ひと声呻いてケンは倒れた。男の後ろに控えていたナースがすぐさま脈をとり、IV、その他の装着を確認する。 「異常ありません。でもこの状態であんなに激しく動けるなんて信じられませんわ。」 「このサブジェクトは特別なのだよ。だが、これで分かった。」 慌ただしく入って来た研究員たちに彼は言った。 「さあ、我らがオイディプスをベッドにもどしたまえ。しかしまた思いきった電圧のブロッカーを使ったものだな。」 「危険でしたので・・・。」 「ああ、分かっている。あのままなら私は殺されていただろうからな。」 彼は再び眠りに落ちた健の乱れた前髪を整えてやりながら呟いた。 「オイディプスよ、君ならスフィンクスの難問に答えを出してくれるだろう。ギリシア神話同様に。」 <8>  エア・ライフル競技が行われているアリーナは昼食のための休憩時間帯となり、閑散としていた。午前中の成績が集計され、掲示板に次々と表示されていくのを眺めているグループもあれば、早々とカフェテリアへと移動したグループもある。データー上はそれらしい過去の競技成績が連ねられているが、実際にはまったくの初参加のジョーだが、それでも南部の予想通りトップの成績で一次予選を通過していた。 「さすがだな、ジョー。」 グレン少佐が肩を叩いてそう労った。 「簡単な競技ですよ。動かないターゲットを撃つだけですからね。」 まったく簡単なもんだ。相手が撃ち返してくることもない。ジョーはそれが何故か物足らなかった。そしてそう感じている自分に軽い嫌悪を覚えた。控え室のドアを開けると、ジュンが振り返り、弾んだ声で言った。 「ジョー、かかったわ!健のIDをチェックするためにアクセスしてきたわ!」 「IDを?それじゃ健は捕まってるのか?」 「分からないわ。でも私達のIDには特殊なセキュリティがかけてあるから、アクセスすればすぐブレスレットに転送されてくるし、ファイアウォールがあっても侵入できるプログラムになっているの。これよ、見て。」 ジュンは渉外部から戻るとすぐに、小型のモバイルにブレスレットの通信装置をセットして待った。モデムを通したのでは逆に相手にこちらのデータを読まれる可能性があるが、彼らの通信装置はいくつもの衛星をランダムに経由しているのでその心配はない。まず1件は3人のIDを保安部がチェックしたものだった。ISOはこれに対してあらかじめ用意した如何にもそれらしいデーターを返送している。 そして、次ー。 「プロフェッサー・シュルツ・インスティテュート?何の研究所だ、これは?」 「調べてみたけど、ただのドーマニア国立大学の中の心理学研究所なのよ。」 「ジュン、このシュルツって教授について何かわかったか?」 「ええ。教授は神経衰弱と不眠症に悩む大統領のカウンセラーをしている人物で、世界的にも有名な心理学者らしいわ。」 「大統領か・・・」  接点が見えた。健はきっとそこにいる。俺達もそこに行かねば。 ジョーは唇を噛むと、窓の外に広がる青い空を睨んだ。1羽の鳥が視界の先をついと横切り、遥か彼方へと飛び去っていった。 「サブジェクトが科学忍者隊だということを大統領に報告しないのですか?」 と、ひとりの研究員が尋ねた。 「大統領?あの憐れな傀儡、ギャラクターのパペットにかね?」 シュルツ教授は笑った。そもそも世襲で受け継いだ独裁政権になどしがみついているあの能無しが悪いのだ。だが、果てしない孤独と疑心暗鬼につけ込んだのはギャラクターだけではない。自分もまた憐れなパペットを利用しているのだから。 「報告はしない。ギャラクターにくれてやるには惜しいサブジェクトだと思わんかね?」 「しかし、それでは・・・」 「まあ、待ちたまえ。」 言いながらも彼は手を休めることなく、複雑なコマンドを入力し続けている。 (さあ、これで準備ができた。ボタンのかけ変えは10分で終わる。) 「サブジェクトにアイ・ウエアを装着してくれ。覚醒剤投与、意識レベルを10%から徐々に上昇させる。20分後に完全覚醒。さあ、始めるぞ!」 研究員たちにそう命じてから、シュルツは報告を、と言った男を振り返った。 「もう少し待ってくれ。結果を確かめてからでも遅くはあるまい?」 そして、彼は「実行」のコマンド・キーを押した。アイ・ウエアを通して健に送られるバーチャル・ビジョンは圧縮してあるので1分間に10回づつ繰り返される。情報処理心理学上、人の短期記憶は入力された情報を約20秒ほど留める機能しかもたない。ここで処理された情報を知識や記憶として長期保存させるには、容量の限界を超えさせることだ。 更新が間に合わない場合、記憶中枢は情報を処理するために、ワーキング・メモリを別に設定し、今までの記憶や知識を失うことなくほぼ無限に新しい情報を記憶する。1分間に10回づつ送られる情報は確実にオーバーフローを起こし、それを受け入れるための独立したメモリを設定させる。そして、必要に応じて検索が容易になるだけのラインを確立するためのリピートに10分。 洗脳でもマインド・コントロールでもない。これは単なる情報の追加であり、それによってサブジェクト本来の記憶や知識にちょっとしたボタンのかけ変えを行うだけである。 しかし、これに抵抗し得る者は存在しないだろう。 10分が経過した。 「よし、アイ・ウエアと電極を外し、IVを抜去。サブジェクトをステージ#1へ戻してくれ。」 シュルツは先に立って昨夜、健が死闘を繰り広げた通路へと進んだ。そして研究員たちによって床に移された健の横にひざまづき、その傍らに銀青色のブレスレットを置いた。 「教授!それは・・・」男が呻いた。 「大丈夫、データは取ってあるよ。私には専門外だが分析できる者もいるだろう。さあ、サブジェクトが覚醒する。答えはすぐに出るだろう。」 健は目覚めた。今度こそ、完全に。 <9> (どこだ、ここは?) 片頬を冷たい床につけたまま、健は目だけで素早く周囲を見回した。無機質な床、無機質な壁が続く通路。そしてすぐ側に落ちているブレスレットを発見し、健はぱっと身を起こしてそれを拾い上げた。外見上は特に破損していると思われない。 (そうか。ブレスレットが外れて変身ジェネレーターが作動したんだな。) 「健。」 と、突然背後から名を呼ばれた。ぎくりとして振り返るとそこには白衣を着た2人の男が立っていた。初老の男は微笑むと、ポケットから鳥を模したブーメランを取り出し、もう1人の男に渡した。 「さあ、これを健に返してくれ。」 男は震える手でブーメランを受け取ると、恐る恐る差し出した。だがなぜ彼等がブーメランを持っているのか?という本来なら当然抱かねばならない疑問を、健は抱かなかった。何も考えずに手を伸ばしてブーメランを男から受け取る。健の手に幾度となく仲間の、そして彼自身の命を救った冷たい武器が握られた次の瞬間、答えは出た。 「ぎゃっ」 逆手に持ったブーメランの鋭い刃が一閃し、男は崩れ落ちるように倒れた。そのさまを健は無表情に見つめている。 (ギャラクターめ、私の研究に干渉はさせんぞ。) シュルツは健の肩を叩いて言った。 「彼は敵だ。さあ、帰りなさい。そして君自身の答えを見つけたまえ。」  ジョーはじっと腕組みをしたまま、アリーナの外壁にもたれて立っていた。短気な彼にとって待つことは苦痛に近かったが、とにかく今はこうしているしかない。情報を収集したり、競技に集中している間はまだ良かった。だが二次予選はまた明日だ。気を揉みながら過ごす夜は長い。 「健・・・。」 と、呟いた時、まるでその思いが通じたかのようにブレスレットが反応した。 ―「こちらG1号。ジョー、俺だ。ジュンは無事か?」  「健!おまえ今まで何をしてやがった?連絡も寄こさずに、いったい・・・」 ジョーは噛みつかんばかりに怒鳴った。心配させやがって馬鹿野郎が。 ―「すまなかった。連絡できなかったんだ。それよりもジュンは?」  「安心しろ。ジュンは夕べのうちに戻った。無事だ。おまえのことを心配してるぞ!」 ―「よかった・・・。」 一瞬の間の後、ため息混じりに、ホッとした声がそう言った。  「今、どこにいる?何か分かったのか?健。」 ―「ああ、行方不明の選手たちがどうしているか掴んだぞ。ジョー、こっちへ来られるか?場所はGPSマップに転送する。」  「よし、分かった。だがまずジュンと博士に連絡しとかないとー。」 ―「おまえがここへ来る間に俺が2人に連絡するさ。ジョー、急いでくれ。」 通信は切れた。やりやがったぜ、とジョーは微笑んで車へと急いだ。  その頃、南部は健のIDをチェックしてきたシュルツ教授の研究所についてのデーターを分析していたが、あのシュルツがこんな罠にかかるだろうか?と、半信半疑だったがー。 プロフェッサー・シュルツ。心理学者であり、精神科医でもある彼は粛清で妻子を失って以来、学野からその姿を消した。それ以前の彼は共和国設立のため、強制的に間違った思想教育を受けさせられているドーマニア国民を導こうと精力的に活動していたのだが。 (まさか教授はあの研究をギャラクターのために続けているのではないのか?) だとしたら、と南部は恐怖を覚えた。十数年前、ある学会で出会ったシュルツは言った。 「南部博士、人の認知する善悪は教育と記憶によるものだ。私は完全な悪人でもリエデュケーションと適切な投薬によって100%正しい方向に導けると確信している。」 もし、それが逆転したら?そしてそれが軍事目的だとしたら?教授はスペシャル・フォースを超えるウルティメイト・フォースを作り上げるだろう。科学忍者隊はそれに勝てるだろうか? 「しかし最終的に勝利するのは、人間の真の正義感と良心ではないのか?」 あの時、そう信じた自分は正しかったのか、間違っていたのか?正しいと信じて科学忍者隊を組織し、また正しいと信じた友を死なせたのだ。もはや後戻りはできない。 「健、みんな、私は諸君を信じているぞ。」 南部は祈るようにそう言った。  ジョーがアリーナを後にしたことを確認して、健は1人、戻って来た。隣接するビルにある控え室に向かおうとした時、ふいにグレン少佐に呼び止められた。 「健!無事だったのか?」 「少佐、ご心配をおかけしました。」 にっこりと微笑みながら健はグレンの元へ歩み寄り、 「ジョーもジュンも心配しているぞ。よく戻ったな。」 と、嬉しそうに言う彼の鳩尾を何の前触れもなくいきなり殴った。うっと呻いて身体をふたつに折ったところを狙って、頚椎に手刀を叩き込まれたグレンはそのまま昏倒した。倒した相手の胸に耳をつけて心音を確かめると、手近かな空部屋に運び入れ後ろ手にロックする。 ものの2分とかからぬ間の出来事だった。そして何事もなかったかのように健はエレベーターに乗り、控え室のドアを開けた。 パッと振り返ったジュンの目が真ん丸に見開かれた。 そこに立っていたのは柔らかいウェーブのチョコレート色の髪と青い瞳の・・・。 「健ッ!」 「ジュン、無事だったのか?良かった。」 「どこにいたの今まで?あいつらはどうしたの?なぜ連絡しなかったのよ?」 ジュンは張りつめていた緊張が一気に解ける思いだった。馬鹿、心配させて。あなたはいつもそうね。 「ごめんよ、ジュン。心配させたかい?でもガッチャマンは不死身だ。」 相変わらずの台詞を言って健は笑った。人を魅了せずにはおかないその明るい笑顔を見て、ジュンは心の底から安堵し、ともに声を立てて笑った。 「出たわね、健のお得意の台詞が。あ、ジョーを呼ばなくちゃ!」 ブレスレットに向かってジョーの名を呼ぼうとしたジュンの手首を健はがっと掴んだ。 「健、どうしたの?」 そう言ったジュンは突然発せられた氷のような殺気に唖然とした。 「健ッ?!」 掴まれた手首を振りほどこうともがくジュンを引き寄せ、健は彼女の顎にもう片方の手を当てがった。そして、愛しい人にくちづけをするように顎を少しだけ仰向かせる。 (なぜ?)ーこれは健じゃない! ジュンは知っていた。このまま健が力を加えれば、彼女の頚椎は確実に折れる。死は瞬間的に訪れるだろう。そう教わり、それを実践してきた手が自分の顎を掴んでいた。 <10> ―「南部博士、そこにいるかね?」 背後のスピーカーから突然声がした。科学忍者隊との連絡にしか使われないモニターのスピーカーからだ。罠にかかったのはこちらだったか、と南部は思った。  「シュルツ教授!」 ―「久しぶりだね。君が育てた傑作を拝見したよ。まったく素晴しいね、彼は。」  「健はやはり教授の研究所にいたのだな?」 ―「そうだ。彼のブレスレットの通信装置を我が国が誇る情報部に解析させたのさ。君と話がしたくてね。素晴しい兵器を作ったものだね、南部博士。あのサブジェクトは完璧だ。」  「彼は兵器でもサブジェクトでもない!」 ―「ほう?では彼は君のオブジェクトかね?」 シュルツは笑った。  「シュルツ教授、私はあなたと哲学について議論する気はない。十数年前、あなたは祖国を救うという崇高な理想に燃えていたはずだ。いったい、何があったのだ?やはりギャラクターが関係しているのか?ご家族の事はお気の毒だったがー」 南部の言葉を遮って、シュルツは続けた。 ―「崇高な理想は今も変わらんよ。だが祖国もギャラクターもどうでもいい。方向が少し違ったというだけだ。私は科学者として純粋に研究の結果を追及しているだけだよ。君と同じようにね。そうそう、君の傑作に少しばかり手を加えさせてもらったよ。」  「彼に、健に何をしたっ?」 ―「君こそ彼に何をした?あのオイディプスの苦悩を知らぬ君ではあるまい?私は彼の心を解放した ぞ。彼は君達を敵と認識した。」 南部は愕然とした。 (なんということを!)  「シュルツ教授、教授ー!」 だが、すでに通信は途絶えていた。中継する通信衛星が切り替わったのだろう。ドーマニアの情報部といえども、この変移をフォローするのは不可能だったようだ。 「ジョーとジュンが危ない!」 ハッとして南部は通信コンソールのマイクをオンにした。 (力を入れていたら苦しいのかしら?) そんなことは教わらなかった、とジュンは自分でも驚くほど冷静だった。案外、こんなものなのかも知れないけど、すぐ目の前にあるこの冷たい顔はいや。健、どうしちゃったの? でもー。 「さようなら、健。私はあなたを恨まないわ。」 思わずジュンがそう呟くと、ガラス玉のように冷たかった瞳がひるんだ。 (!!) 固く結んでいたくちびるが動き、健は微かな声で言った。 「お母さん・・・」 一分の隙もなく張り詰めていた殺気がわずかに緩んだ瞬間をジュンは逃さなかった。彼女もまた歴戦のコマンドである。今だっ! 「ターッ!」 鋭い気合いとともに掴まれた手首を固定点に、思いきり床を蹴って宙返りを試みる。 (外れた!) が、健は再びジュンを捉えようと追って来た。身の軽さを利して素早く回転しながら、ジュンはバルコニーへ逃れた。そして迷うことなく空中へ身を踊らせながらブレスレットに叫ぶ。 「バード・ゴーッ!」 虹色の光と白い羽が交差し、白鳥はふわりと地上に降り立った。しかしホッとしてはいられない。バサッという音とともに大きな白い猛禽が頭上から襲いかかって来た。ジュンは身を交したが、健はなおも間髪を入れず攻撃してくる。 (距離を取らなければ。このままでは・・・) ジュンはヨーヨーを右手に見える非常階段に向かって投げた。3Fか4Fか、ヨーヨーのワイヤーが手すりをキャッチした手応えに、ジュンは跳躍した。バードマントだけではここまでは飛び上がれない。もっと上へ、とそれを繰り返したが、何度目かに飛んで来たブーメランにワイヤーを切断されてしまった。そして、今度はジュン目がけてブーメランを投げようとー。が、その時、「ビシュッ!」と鋭い音がして2人の間を弾丸が通過した。 「ジューンッ!大丈夫かっ?」 ジョーだ。 「ジョー!健が、健がおかしいのよ!」 「博士から聞いた。暗示だか何だか知らねえが健は俺たちを殺そうとしているんだ。」 白い鳥と青い鳥は互いに距離を取ってじっと睨み合っている。 相手の出方を計るようにー。 「目を覚ませ、健!」 ジョーが怒鳴った。エア・ガンの銃口はぴたりと相手の動きを封じている。バードスーツに防弾性があるとはいえ、これだけの至近距離から撃たれたら相当なダメージを与えるはずだ。いや、健を殺すかも知れない。 「目は覚めている。」 氷のような声でそう応えると、健はダッと間合いを詰め、エア・ガンの銃身を握った。肩と肩をぶつけながら2人は激しく揉みあったが、力では健はジョーにかなわない。そのことは健自身がいちばんよく知っていた。投げ飛ばされた健はその勢いを利用して、猫科の動物のようにしなやかに回転し、素早く非常階段を上へー。 「伏せろっ、ジュン!」 ジョーは跳躍を繰り返す健を狙ってエア・ガンを発射した。博士は言った。 「健が攻撃してきたら迷わずに倒せ」とー。 ―「こちら南部だ。G2号応答せよ!ジョー、健はどうした?」 健に指定された場所へ向かう途中、ジョーは南部からの連絡を受けた。  「博士、どうしたんです?健からの連絡を聞いてないんですか?あいつが選手達の事をつきとめたって言うんで、そこへ向かっているところです。」 ―「いかん!ジョー、すぐに戻れ!ジュンが危ない。」 珍しく取り乱した様子の南部にジョーは胸騒ぎを覚えた。  「ラジャー!」 ジョーはすぐさまUターンすると、往路に倍する速度でアリーナへ向かった。理由を聞くのは後でいい。しかし、これだけは聞いておかなければ・・・。  「博士、健の奴がどうかしたんですか?なぜ、ジュンが危ないんです?」 ―「ジョー、君は健の母親が死んだ時のことを覚えているか?」 ジョーは意外な言葉に驚いた。 (なんだって?それがどうしたって言うんだ?) あれは何年前だ?入院していた健のお袋さんが危篤だっていうんで、博士が夜中に健を連れて行った?いや、そうじゃない。  「ええ、覚えています。健が行かないと言い出して、それでー」 ―「そうだ。私が無理に連れて行ったのだ。」  「それで健はどうしたんです?今さらそんな昔の事と関係があるんですか?」 ―「健はシュルツ教授に暗示をかけられて、我々を敵だと思っている。おそらくその暗示は、あの時、健が受けた対象喪失のショックを利用したものだと思う。だが、解く方法は今のところ分からない。ジョー、とにかく健が攻撃してきたら迷わずに倒してくれ!」  「しかしー」 ―「そうしなければ、健はギャラクターのコマンドにされてしまうだろう。」  「なんですって?ギャラクターの??」 <11>  「健、起きなさい、健。お母さんが君を呼んでいる。」 南部の声にジョーは目が覚めた。隣のベッドのスタンドの灯りの中に健が見える。思いつめたような顔をして、毛布をギュッと握りしめていた。 「さあ、一緒にお母さんのところへ行こう。」 南部がそう言って促したが、健は動こうとしない。そして、きっぱりと言った。 「僕は行かない。」 「なぜだい?」 (どうしたんだ?いつもママに会えるのを楽しみにしてたじゃないか?) 寝たふりをしたまま、ジョーは毛布の中でそう思った。1ケ月に1度、健は母親のいる病院へ面会に出かけていた。そして帰って来ると無邪気に母親の事をあれこれと話す。その度にジョーの失った両親に対する思慕は募り、切なくて涙が溢れた。だが、健の嬉しそうな様子を見ると、聞きたくないとはねつける事も出来なかった。健もまたジョーと同様に寂しい思いで暮らしているのだから―。しかし、ここ2ケ月ほどは帰って来ても健は母親の話しをせず、浮かない顔をしていることが多かった。 (健、ママに会いたくないのか?) 南部の背中越しに健の顔を見る。健は涙に濡れた目をキッと上げ、もう1度、言った。 「行かない!行けばお母さんは死んでしまうんだ!」 「そんな事を言ってはいけない。さあ、おいで。」 結局、健は南部に連れられて出かけて行った。翌日、周囲の状況からジョーにも健の母親が帰らぬ人になった事が分かった。しかし、3日後に戻った健は案外と元気な様子で、ジョーに言った。 「お母さんはすごく軽かったよ。」と。そして、 「ジョー、僕もひとりぼっちになってしまったのかな?」と―。 それから2度と母親の話しをする事はなかったし、泣き顔を見せる事もなかった。 (あれからだ。あいつが口癖のように親父さんの事を言い出したのは。) ―「俺の親父はきっとどこかで生きているんだ。」と―  それは真実だった。そして悲劇だった。 (それからだ、あいつのバランスがおかしくなったのは。)  特殊高圧ガスによって発射された弾丸は確実に標的をヒットした。 スモーク・ブルーの破片がパッと散り、傾きかけた陽差しにキラキラと輝く。翻ったマントと反対の方向に仰け反った健は手すりに引っかかる形で辛うじて落下を免れた。 「ケーンッ!」 と、ジュンが叫んで駆け寄ろうとした時、白い鳥は再び跳躍した。 「ジュン、近寄るんじゃない!バイザーに当たっただけだ。」 ジョーは駆け上がりながらそう叫んだ。何分の一秒か着弾が早かった。いや、避けたのか? (くそっ、それでも気絶くらいはするはずだぜ。) 屋上に通じるルーフまで飛び上がった健は、バイザーが半分砕け散ったヘルメットを脱ぎ捨て、そのまま屋上へと姿を消した。 「ジュン、ここから中へ入って屋上に通じる出入り口を全部封鎖してくれ。」 ロックされていた非常ドアをエア・ガンで撃ち抜いたジョーにジュンが言った。 「暗示って何なの?」 「分からん。だが、博士は健のお袋さんが死んだ時と関係があると言ってた。」 ハッとしてジュンが言う。 「そう、健は『お母さん』て言ったわ。そうしたら殺気が一瞬だったけど消えたのよ。」 「それを博士に連絡してくれ。ロックを頼むぜ。あいつを下へ降ろすわけにはいかねえんだ。」 ジョーは健を追って屋上へと飛び上がって行った。 (健は強い。恐ろしいほど強い。俺は今のあいつに勝てるだろうか?) だが、躊躇っている時間はない。あいつはこっち側にいなければならない。あっち側に行くのなら、殺してでも止めなければ。例え刺し違えても―。  ビルの真ん中を貫く吹き抜けのグラス・ルーフ、いくつもの排気塔、数基のエレベーター・ホール、そして四隅に飾られたアクロテリオン。 ざっと見渡したが、健の姿はない。だが必ずどこかにいる。そして攻撃のチャンスを窺っている。ジョーは素早く近くの排気塔の陰に身を寄せながら、耳を澄まし、目を凝らした。 (いつものように口笛でも吹きやがれ。) だが、相手がジョーではそんな事をするわけがない。2人はお互いのすべてを知っていた。勝っている点、劣っている点、その癖、フォーメーションの呼吸・・・。何もかもを了解し尽くしている相手とまさか本気で闘うことになろうとは。数え切れないほどの模擬戦と実戦で得た経験上、健のスピードと技にはかなわないことは確かだ。だが、逆に健もジョーの力と持久力にはかなわない。後はおおむね五分と五分。しかし、時として健は生来の気性からか状況判断に迷いが生じることがあり、実戦を経験する以前にインストラクターから「優しさや憐れみは不要だ。非情になれ。」と叱責されていた。 だが、科学忍者隊のリーダーとして実戦経験を積むうち、健は徐々に変化していった。何よりも責任感が強い健は、メンバーと任務のためには自らの人間性をも否定しなければならない局面に遭遇すれば、己を殺してでもリーダーとしての責務を果たす事を優先させようとした。時には仲間から非難される事でも、そして健自身耐え難い事でも、全うせねばならぬ任務ならば勇敢にそれと対峙した。必要なことだと分かってはいても、ジョーにはそれが哀しかった。何の恐れも迷いもなく、真直ぐに前だけを見ていた少年の瞳を、健が取り戻すことは二度とないかも知れない。しかし、時に憎しみと諦めの影が交錯する今も、健は死んで行くものから顔を逸らす癖があることをジョーは知っていた。 (つけ入る点があるとすればそこだ。) そしてもうひとつの弱点はヘルメットのない頭部である。 突然、風が動いた。 その刹那、健はジョーの前に音もなく舞い降り、澱みのない動作で足を払った。射撃されないためには射手の姿勢を崩すことだ。それを知らぬ2人ではない。ジョーも前方へ回転し、さらに姿勢を保持しようとしつつ、反撃する。蹴れば、交わす。打てば、受ける―。 互いに相手の攻撃パターンを熟知しているため、まるで演武のようできりがない。 (それならばそれでいい。健はやがて疲れる。) ジョーはそう思った。このパターンを繰り返す限り、健に勝ち目はない。さっきは逃げられたが、今度は逃がしはしない。それにしても疾い!なんというスピードだ。動きについて行けない健の長い髪がまるで残像のように、その動きをトレースして踊る。 (こいつだっ!) ジョーは一歩踏み込むとそのまま左腕で殴りかかろうとした。当然、健はこれを予測し体を沈めて交わす。ふわりと健の髪が浮いた瞬間、ジョーはその髪を掴んだ。ヘルメットがあれば突かれないウイークポイントだった。だが、健は瞬間的に右側に全体重をかけて身体を捻り、左腕をジョーの左腕にかぶせてきた。次に来るのは顎への肘打ちだ。今度はジョーが予測していた。左手に掴んだ髪を健が仰け反るほど捻りあげる。上体が反ってしまえば有効な肘打ちは出来ないし、蹴りあげることも難しくなる。 「ううっ」 健の口から呻き声が漏れたが、ジョーはその手を放そうとしなかった。身体は頭の方向へ附随しようとするものである。だから頭を保定し、それを後ろに反らせている限り相手を容易に倒すことが出来る。だが、健は尚も空いている右手でブーメランを引き抜こうともがく。ジョーは掴んでいる頭を自分の方へ引き寄せながら、エア・ガンの銃把で健の顎を殴った。唇が切れたのか鮮血が散ったが、構わず銃把を顎に当ててそのままさらに左へと体を捻る。ジョーの腕力に抗し切れず、健はついに仰向けに捩じ伏せられた。その機を逃さず、ジョーは健の眉間にぴたりと銃口を押し当て、語気鋭く叫んだ。 「動くなっ!」 健は瞬きもせず真直ぐにジョーの目を見詰める。その青い瞳には怖れも怒りもなかった。そして、鮮血の流れる唇を引き、ゾッとするような微笑みを浮かべると、言った。 「さあ、撃てよ、ジョー。」 「!!」 ジョーは絶句した。 <12>  南部には苦悩している時間も逡巡している暇もなかった。ジュンの報告から健の暗示を解くキーワードはやはり母親の死んだ時と関係があると確信出来た。シュルツが健を称したオイディプスはヒントだったのか?フロイトのエディプス・コンプレックスは有名である。しかし健にその徴候が見られた事はない。むしろ父親に対する傾倒が顕著で、異常とさえ思える執着を示した事はあったが・・・。 (何故、オイディプスなのだ?何が健を支配しているのだ?) 南部は忙しく関係文献の検索と分析をしつつ、当時の事を思い出そうとしていた。彼女は臨終の床で健に何を言ったのか?恐らくジュンがふいに言った言葉に酷似していたのだろう。それで健は一瞬の正気を取り戻したのだ。いや、今が正気ではないという訳ではない。ただシュルツが解放した深層心理下にある欲求が健を支配し、我々を敵と認識させているだけだ。 その欲求とは何だ?そしてその動機は?  「ジュン、もう1度、健が攻撃を止めた言葉を言ってみてくれ。」 通信コンソールにそう問いかける。 ―「あの時ですか?ええと、確か『さようなら。あなたを恨まないわ』って言ったんだと思います。それより博士、私もジョーの援護に行ってはいけませんか?ここのロックは大丈夫ですし―」  「いかん!もしもジョーが・・・」 ―「ジョーが?」 南部は辛い言葉を口にしなければならなくなった。  「もしもジョーが倒され、君までも失う事になったらどうする?ジュン、そこで待機していてくれ。すぐ連絡する。以上だ。」 恨まないと言ったことか?確かに彼女はあの時、そう言った。いや、父親を恨んではいけないと言ったのだ。何故、死んでいる父親を恨んではいけないと健に言ったのか?ひょっとして彼女はレッドインパルスの事を知っていたのか?鷲尾は生きているとー。やがて健に出会えるかも知れない事を―。 「何という事だ・・・!」 だが、南部にはそれを後悔している時間はない。健を、ジョーを救わなければ。彼等はかけがえのない存在であり、同時に大いなる未来への希望なのだ。 「健ッ!なぜ、俺がおまえを撃たなきゃならねえんだ?なぜ、おまえは俺達と闘う?」 ジョーはそう叫んでいた。今、トリガーを引けば、健は確実に死ぬ。10年の歳月をともに生きて来た無二の存在は永遠に失われるのだ。だが、健がこちらへ戻って来ないのならこの手でその生命を絶つしかない。それは身体を引き裂かれるよりも辛い。だからといって健をギャラクターに奪われることはさらに辛い。健を睨んだまま、ジョーの双眸から熱い涙が落ちた。 と―。 それに呼応するように健の目にも涙が溢れ、そして、信じられない言葉を叫んだ。 「俺を撃ってくれ!殺してくれっ!ジョー、頼むから・・・!」 「なぜだっ?」 「おまえがそうしなければ、俺はおまえを、ジュンを、みんなを殺してしまうっ!」 「だからなぜなんだ?なんでおまえが俺達を殺さなきゃならないんだ?」 「それは・・・」 健の瞳が空になる。何も見ていないその目に、ジョーは落胆した。 (駄目だ。また行っちまう―。) ならば、とジョーは再びその頬を殴った。 「健、目を覚ませ!おまえは科学忍者隊のリーダーだろっ!」 2度、3度、殴打されるがままになっていた健が突然反撃に出た。ジョーの手首を目にも止まらぬ速さで掴むと、片脚をジョーの頭越しに回して首にかけ、そのまま横へ半回転する。その勢いと腕を引かれた反動でジョーの拘束が弛んだ。しかし、エア・ガンは手首を掴まれながらも依然として健の喉元にあった。じりじりと健はジョーの右腕を自分の頭上へと引く。形勢は逆転した。ジョーの首は健の片脚に押さえつけられ、引かれて伸び切った腕の腱と関節に激痛が走り、握力を失ったジョーの右手からエア・ガンが落ちた。 「くそっ!」 サッと身を起こした健の手にはジョーのエア・ガンが握られていた。 「形勢逆転だな、ジョー。」 「ああ、そのようだな。」 (これまでか・・・)―かも、知れない。だがジョーはジュンの言葉を思い出した。試してみる価値はある。もしかしたら健は帰って来るかも知れない。いや、少なくともチャンスが生まれる可能性はある。 「あばよ、健。おまえはいつも死ぬ時は一緒だと言ってたが、どうやら別々になりそうだな。」 「なんだと?」―返事をした?帰って来いっ、健! 「所詮、人間はみんな別々に死ぬんだ。いや、俺の親父やお袋みたいに一緒に殺されりゃあ一緒に死ねるかも知れないがな。」 ジョーは喋り続けた。健が撃たないのは葛藤が生じたからだ。―さあ、来い! 「おまえのお袋さんだって、レッドインパルスだってひとりっきりで―」 「黙れっ!」 健は怒鳴った。激しい怒りが瞳の中で燃え上がったのをジョーは見逃さない。もう少しだ! 「ジョー、おまえはギャラクターを恨めばいい。復讐すればいい。だが俺は―」 「おまえだってギャラクターが親父の仇だろう?絶対に許さないと言っただろうが!なのになぜ、俺達を殺そうとするんだ?健、言ってみろ!なぜだっ?親父さんを殺したのは俺達か?おまえがあの時、勝手な行動を取らなければ或いは親父さんは死なずに済んだかも知れないんだぞ・・・。」 ジョーは健を追い詰めてしまうしかなかった。それしか打開策はない。失敗すれば終わりだ。2人とも。だがそれも仕方のない事である。健は血が出るほどきつく唇を噛みしめてジョーを睨んでいたが、やがて絞り出すように言った。 「そうだ。親父を殺したのはこの俺だ!」 <13>  シュルツは待っていた。健の中に付け加えたものの一つに「科学忍者隊の他のメンバーを誘導せよ」という項があった。だが、それは果たされそうもない。時間がかかり過ぎている。健の機転と作戦能力を持ってすればもっと容易にそれは実行されたはずだ。科学忍者隊が単独でドーマニアに潜入したとは考えられない。近くに複数のメンバーがいるはずである。 「手間取っているだけか、やはり失敗か・・・。」 出来れば健以外のサブジェクトを手に入れたかったが―。南部が作り上げた忍者隊は全員が健ほどのレベルなのだろうか?ぜひそれを確認しておきたい。何をモチベーションにあそこまでの意欲と能力を引き出せたのか?それは個々に異なるもののはずである。だが、最終的に彼等の行動原理を支配しているものは " 正義 " なのだろう。その時、コンピューターのモニターにアクセスを示す表示が表れた。 ―「シュルツ教授か?南部だ。今一度、話したいことがある。」 音声と画像スイッチをオンにして、シュルツは応えた。  「これは南部博士。簡単だったろうに、何故もっと早く連絡してくれなかった?こちらから君に連絡するのは大変なのだよ。凝った通信システムのようだね。忍者隊の諸君のものは。」 ―「教授、健に与えた暗示のモチベーションは彼の母親と父親が亡くなった時の対象喪失を利用したものではないのか?そしてオイディプスはスフィンクスの難問に答えを出した、ギリシア神話の―」 ほう、とシュルツは片眉を上げた。  「さすがは南部博士だ。短時間でよく分かったね。いや、君も知っていたと言うべきかな?だが、君が健に対して行った強化は、たぶん君の言う " 正義 " がベースなのだろう?君は健の心を無視して君の理想を押し付けたのだ。違うかね?南部博士。」 ―「そうかも知れない。だが、それは健自身の意志でもあるのだ。シュルツ教授、人間の意志や正義感はシナプスやニューロンの電気的な信号や薬物だけですべて支配できるものではない。あなたは御子息を失って、意地になっておられるのだ。だが―」  「息子に対して行ったリエディケーションは失敗ではなかった!」 思わずシュルツは怒鳴った。つまらぬ事までよくもまあ調べたものだ、言わんばかりに。あれは決して失敗ではない。だが、まさか母親を選ぶとは思わなかっただけだ。家庭を顧みないという下らん理由で私を保安部に通報した妻を―。 ―「教授、健を返して頂きたい。私は健を失うわけにはいかないのだ。あなたの安全は保障する。どうか、我々と共にその研究を平和と未来のために続けて頂きたい。」  「魅力的な御提案だな、博士。だが―」 言いかけてシュルツはただならぬ気配に南部との通信を携帯端末に切り替え、モニターを消した。その時、ドアが乱暴に開けられ、見知った保安部の将校が数人の警備兵を引き連れて入って来た。警備兵の手には軽機関銃が光っている。シュルツは素早くオンにしたままの端末をポケットに忍ばせた。 「シュルツ教授、捕獲した科学忍者隊を我々に報告もせずに解放したそうですな?」 やはりあの男だけではなかったのか、とシュルツは苦笑した。この研究所も結局はギャラクターの監視下にあるという訳だ。 「私の研究の邪魔はしないという約束だぞ。協力はしているだろう?」 「科学忍者隊となれば話は別です。国家反逆罪に問われても仕方のないところですぞ、教授。だがあなたには大統領を診て頂かなければならない。とりあえず身柄は拘束させて頂きます。御同行を―。」 警備兵の銃口に押され、シュルツは外の車に乗った。他にも数台の物々しい軍用車両が並んでいる。 「あれは何事かね?」 「これから教授が解放した忍者隊の捕獲に向かう。あなたがデーターを残してくれたお陰で彼等の居所が判明したのだ。」 (聞いているかね?南部博士・・・。健が、忍者隊が危ないぞ。) ポケットの端末を撫で、シュルツはそう心の中で呟いた。  屋上に通じるすべてのドアをロックし、それらに小型時限爆弾をセットしたジュンは、たった一つの接点である非常階段のドアに身を寄せて様子を窺っていた。 (健、ジョー、どうしているの?) どちらかが倒れ、ここへ降りて来るのは誰だろう?もしそれがジョーなら健には二度と会えないという事だ。でももしそれが健だったら・・・?ふいにブレスレットから南部の声がした。 ―「ジュン、ドーマニアの警備兵がそこへ向かっている!健とジョーはどうした?」  「まだどちらも降りて来ません。どうなっているのか―。でも警備兵はここから上へは行かせません。必ず食い止めます!」 ―「いかん!ジュン、逃げろ!君だけでも生きて戻るんだっ!」 南部の命令を無視してジュンは通信を切った。 (ありがとう、博士。でも2人を残しては行けません。)  ジュンはまず非常階段に出ると、階下の踊り場に小型爆弾を投げ落とした。これでここからも上がっては来られない。そして吹き抜けのホールへと走り寄り、メインエレベーターをキッと睨んだ。起爆装置を押せばすべてのドアと非常階段、それにここも吹き飛ぶ。タイミングが良ければかなりの人数の敵を食い止めることができるはずである。そしてもしここへ降りて来るのがジョーではなくて健だったら。そうだとしたら、やっぱり健をここで食い止めるのが私の任務だわ―、とジュンは決心した。 「!」―エレベーターが数基、ほぼ同時に動き出した。グラス・ルーフに覆われた吹き抜けのホールを見下ろすと、武装した警備兵達がそれぞれの侵入経路に向かって動いている。 「さあ、来なさいっ!」 ジュンは最高のタイミングを狙って起爆装置を握りしめた。  陽は急速に西に傾きつつある。と、ともに風が強くなった。浅く朱に染まった白いマントが風を孕んで大きく膨らむ。逆光に縁取られた髪が健の胸中を顕わすかのように激しく乱れた。 「もう終わりにしようぜ、健。」 ジョーは冷たく言い放つと、エア・ガンの銃口を無視して立ち上がった。―俺があいつを撃てないのと同様に、あいつは俺を撃てない。俺と健の絆はそう簡単に断ち切られるものではないはずだ。それに、健は帰って来つつある。それに賭けてみようとジョーは思った。健の脇をすり抜け、中央のグラス・ルーフの縁へとゆっくり歩を進める。 「動くんじゃないっ!止まれ、ジョー!」 だがジョーは止まらなかった。 「撃つなら撃てよ。親父さんを殺したんだろ?ならば俺も殺すがいいさ。」 撃つか?いや、本当に撃てるのか?グラス・ルーフまで進み、ジョーは振り向きざま怒鳴った。 「健、復讐をすればいいと言ったな?そうさ。俺は親の仇を討ちたい。それじゃあおまえはどうする?自分で自分に復讐するつもりかっ?」 エア・ガンの甲高い発射音と同時にジョーは左肩に焼け付くような痛みを感じた。 「うっ。」 と、呻いて肩を押さえたジョーはルーフの端に崩折れた。ジョーのエア・ガンの口径は通常の小銃で言えば22口径程度しかない。つまり命中精度も殺傷能力も大して高いという銃ではなく、それをカバーしているのはジョーのスナイパーとしての並外れた技術なのである。1発で止めを刺すには至近距離から急所を撃ち抜くか、距離がある場合はライフルで狙撃するような正確さが無ければ無理だ。まして立射の姿勢では。だがそんな事は問題ではない。健はジョーを撃ったのだ。ジョーには健が撃てなかったのに。撃てと請われてもついに撃つことが出来なかったのに―。 「健、さすがにおまえは俺よりも強いな。」 ジョーは口の端で笑いながら言った。―最後の賭けだ。帰って来い!健! 「だがな、親父さんを殺し、俺を殺し、仲間を、博士を、みんなを殺したら―。そうしたら、健、おまえは本当にひとりぼっちだぞ!」 「えっ?」と、ひどく驚いたように健が瞬いたその時、突然、数カ所で同時に爆発音が響いた。ジュンが警備兵を阻止するために起爆装置を押したのだ。吹き抜けにあるメイン・エレベーター・ホールの爆発は上へと昇り、屋上のグラス・ルーフを下から突き破って炎と爆風を吹き上げた。粉々になった強化ガラスが舞い、ルーフの端にいたジョーは爆風の煽りを受けて姿勢を崩した。青いマントが翻ったかと思う間もなく、ジョーの姿が1階まで通じる吹き抜けに吸い込まれて行く―。 行かないで!と、あれほど願ったのに母さんは行ってしまった。父さんも行ってしまった。ひとり取り残されるのはもう嫌だ。―ならば、答えを見つけろ! 「ジョーッ!!」―ジョー、おまえも行ってしまうのか?ああ、嫌だっ!答えは何処にある? 健は弾かれたように走った。ルーフの端から我を忘れて身を乗り出すと、捻れたガラスのフレームにジョーが右手だけでぶら下がっている。ガシャガシャと砕け散ったガラスの破片が降るなか、健はその手を伸ばした。  「つかまれっ!」 「健!」 ジョーの青灰色の目が眩しそうに健を見つめる。そうだ、この眼差しだ。辛い時、苦しい時、何も言わずにただ俺を見ていてくれたジョーの目だ。―見つけたぞ。これが俺の答えだ! 「つかまるんだ、ジョー!俺を置いて行かないでくれ!」 「死ぬ時は一緒か?」 「ああ。そうだ!」 ジョーは健の手を握りしめた。しっかりと―。片手から両手、手首から肘へと少しづつ位置を確実にしつつ、健はガラスの破片で自らが傷つくのも構わずにジョーを引き上げようと歯を食いしばる。その時、健の青いグローブに白い指が添えられた。 「ジョー、しっかりして!」 「ジュン・・・!」 ジュンは自ら仕掛けた爆破から逃れるため、非常階段のルーフから屋上へ上がって来たのだ。にこりとオレンジ色のバイザー越しにジュンが微笑む。―そうだ。これも俺の答えだ! 「もう少しよ。頑張って!」 「さあ、上がって来い、ジョー!」 「へっ、さっきは撃ったくせに・・・」 足場を確保しながら、ジョーは微笑みを浮かべると皮肉な口調でそう言った。 「帰って来たな、健。」 「ああ、帰って来た。2人のお陰だ。ありがとう。」 いつの間に切ったのか、ジョーの頬から血が流れていた。健がそれを指で拭うと、ジョーは自由になる右手で健の肩を抱いた。その時― 「いたぞっ!」 と、声がして警備兵達が屋上へと上がって来るのが見えた。3人は素早く迎撃のフォーメーションを取る。サッと散り、まず上がり端の警備兵を攻撃する。ワイヤーロープの簡易梯子に掴まっている兵士の武器を蹴落とすくらい雑作もない。そして、ランダムに動き回って銃火を交わす。迎撃しながら、健は一番手薄なサイドを見つけると、2人に合図をした。速やかにジョーとジュンが集合する。 「どけっ!蹴り落とされたいのかっ?邪魔をするな!」 眉を上げて健が怒鳴った。昂然としたその迫力に呑まれて兵士達が怯む。手にした軽機関銃は何の役にも立たない。3人は兵士達を割ってワイヤーロープの梯子を奪取した。ぶら下がったまま見下ろすと、サイレンが鳴り響き、警察や軍用の車両、そして大勢の人々が集まって来ていた。派手な爆発だったからな、と健が苦笑いした。 「このままじゃどうしようもないわ。」 「あそこの窓を爆破して中へ入る。ジョー、片手だけで大丈夫か?」 「ああ。」 「よし、行くぞ!ジュン、しっかり掴まっていろっ。」 壁面を蹴って大きく反動をつけると、健が小型爆弾を窓に投げる。爆風を破って3人はビルの中に飛び込んで行った。 <14> ―「博士、南部博士!こちらG1号、ジュンから聞きました。シュルツ教授を救出に向かいます。どこへ連れて行かれた分かりますか?」 スピーカーから健の声がそう言っている。健、帰って来たのか?  「こちら南部だ。健、大丈夫なのか?ジョーとジュンはどうした?」 ―「2人とも無事、いえ、ジョーが負傷しました。俺が、俺が撃ったんです。」 ―「こちらG2号、カスリ傷ですから御心配なく―」 健の声には激しい自責の念が込められていた。南部は実の兄弟のように時には喧嘩をし、時には慰め合って、共に成長してきた2人の胸中を思うと目頭が熱くなった。そして、 (よく帰って来てくれたな、健。私を恨んでいるだろうに・・・。) と思う。だが、まだそうした感傷を言葉にしている時ではない。信ずる未来が訪れた時、君らに詫びる日も来るだろう。それまでは―。  「無事で良かった。教授は携帯端末を持っている。マップに転送するのでそこへ行ってくれ。だがくれぐれも無理はするな。ジョー、傷の具合はどうかね?」 ―「大丈夫です。」 そう応えて通信を切ったが、ジョーの左腕は動かなかった。 「ジュン、ジョーを医者に診せてくれ。とにかく変身を解いて下に降りよう。負傷者に見せ掛けるんだ。このままでは脱出できないからな。」 「健は?」 「俺が蒔いた種だ。俺ひとりで始末をつけて来る。」 でも―、と言いかけたジュンをジョーが制した。帰って来たと思ったらすぐにこれだ。だが、一旦言い出したら後には引きっこない。それが健だ。 「行けよ、健。だが、必ず帰って来いよ。」 「ああ、死ぬ時は一緒だからな。」 そう言って、健は微笑んだ。  大統領官邸にある一室に連行されたシュルツは保安部員達のやりとりから、忍者隊の捕獲に向かったビルが爆破され、彼等がまんまと逃げおおせた事を知った。 (捕まるものか。彼等は本物のスペシャル・フォースだ。だが、健はどうしたのだろう?答えは出たのだろうか?) と―。ロックされていたはずのドアが開き、健が音も無く入って来た。彼には警備兵など物の数ではないのか?そうだ、これがスペシャル・フォースだ。知識の手続き化が完了していなくてはこうはいかない。知識の手続き化とは例えば車の運転方法や構造をいくら知識として知っていても、実際に運転することは出来ない。しかし、それを繰り返し行い、熟練すれば無意識のうちに車は動かせるものである。いや、無意識に行えるようにならなければ手続き化が完了したとは言えないのだ。情報は知識となり、手続き化を経て自分自身の経験となる。情報は簡単に置き換えられるが、それを経験にし、さらに熟達させる事は不可能である。健の身のこなしは特殊コマンドとして完璧に近いところまで完成している。こうした特別なマテリアル以外でスペシャル・フォースを作り出すのはやはり無理なのかも知れない。と、シュルツは思った。 「シュルツ教授、南部博士が待っています。さあ、行きましょう。」 「答えを見つけたようだね、健。」 いくぶん緊張した面持ちで健が頷く。しかしその青い瞳は綺麗に澄み渡っていた。 「ではオイディプスよ、答えたまえ。」 「俺は置いて行かれる事を、ひとりになる事を怖れていたんです。そして出来るならそれから目を背けていたかった。誰かのせいにしてしまいたかった。でも、それは出来ない事なんだと分かりました。」 「健、君はお母さんからお父さんの事を聞いたね?」 「ええ。母は父を恨むなと言いました。それで気がついたんです。やはり父は生きているんだ、と。生きているならいつか会えるだろうと―」 「会えたんだね?」 健は一瞬、目蓋を閉じた。あの夜、ログ・キャビンでそうとは知らずに語り合った事が鮮明に蘇る。 「会えました。短い時間でしたが・・・。父は俺に、いや、母と俺に詫びたかったんです。そして―」言葉が出て来ない。言えばまた胸が痛む。しかし、健は再び話し始めた。 「俺のために死んだんだと・・・」 やはり涙を抑える事は出来やしない。でも、いいんだ。肉親のために、親しい友のために泣けなければ人間ではない。俺は人間でいたい。例えこの手で敵を殺そうとも、人間でいたい。 「それが『人間』だよ、健。感情を失くしてはいけない。だが、感情に負けてもいけない。」 シュルツは満足げに微笑んだ。心と意志は一見、脆くも見えるが、それを持つからこそ、健は強い。 「君は君自身が自覚する以上に肉親や親しい友人に寄せる愛情と執着が強い。だが、君は幼い頃からその欲求を満たす事が出来なかった。それがさらに執着を増加したのだ。」 「どういう事です?」 「例えば喉が渇いた時に水を飲めなかったとしよう。人は喉の渇きを忘れるかね?一時は誤魔化す事が出来るだろうが、満たされない渇きは増大するものだ。精神的欲求もそれと変わらんよ。それに君は無自覚にせよ自己の欲求に対して認識的逃避や転嫁をする傾向が強いようだ。」 「なるほど―。」 と、健は自嘲的に微笑んだ。 「恨むな、と言われたから恨んだのかも知れないな、親父の事を。気づかなかったけれど―。」 「しかし、母親の死を父親の責任に転嫁した事は決して稀ではないよ。男にとって父親はまず真っ先に倒さねばならない相手だからね。母親を得るために憎悪する、というのは当たり前の事だし、優先的に母親を選択するのもよくある事だ。」 だから妻と息子は幸せだったのかも知れない。人間としては未完成であっても。だが、シュルツはそれを口に出しはしなかった。 「だけど、まさか親父を殺したいと思っていたなんて。しかも仲間や博士まで―」 思い出すと身体が震えるほど恐ろしかった。ジュンの顎の感触が、そしてエア・ガンの発射音がはっきりと残っている。この手で?―気がつくと、健は自分の手を見ていた。 「単純な逃避方法だよ。置いて行かれないためには、その存在自体を抹殺してしまえばいい。そうすれば自分の願望に反する対象への喪失感は味わずに済むからね。だがそれを解放し、拡大し、行動のモチベーションに利用したのは私だ。健、その部分を消してあげようか?」 しかし、健は首を横に振ると、決然と答えた。 「いや、それも俺なら忘れたくない。もう逃げはしません。」 シュルツは健に背中を向けた。そして― 「帰りたまえ、健。私にはここでやるべき事があるし、救えるものなら祖国を救いたい。南部博士によろしく伝えてくれ。君の理想は結実しそうだと、ね。」 その背中に頷くと、健は何も言わずに踵を返した。  結局、国際親善スポーツコンペティションは中止になった。何者かによる爆弾テロ、というのが表向きの理由だったが、実際にはISO保安局、国連安全保障理事会をはじめとする各国からの抗議と調査の依頼 ― 今回の事件を発端に、過去の亡命選手達についても各機関は容赦なく糾弾していくだろう ― に対応できなくなったドーマニア政府の苦渋の発表だった。とりあえずの突破口は開けた訳である。科学忍者隊は一応、その使命を果たしたのだった。 宿舎の部屋でTVニュースを見ながら、  「俺は爆弾テロの犯人を知ってるぜ。」 と、ジョーが笑った。「あはは」と健も笑い出す。 「なによ、ひどいわねえ!私ひとりのせいにするつもり?」 ジュンが膨れてそっぽを向いた。笑いながら健はジュンの肩をポンと叩くと片目をつぶって見せた。 「ジュン、まあいいじゃないか?犯人はミス南部だ。ミセス鷲尾でなくて何よりだったなあ!」 「ミセス浅倉でもなくて何よりだ!ミス南部は素行も悪いって話で―」 「まあっ!失礼ねー」 3人は顔を見合わせて大声で笑った。 <15>  健は選手宿舎ビルの屋上に上がり、手すりに両肘をついて幾条ものサーチライトが交差するアリーナとその隣のあのビルを眺めていた。何を探しているんだろう?いもしないテロリストの痕跡か?ああ、でも俺のヘルメットを置いて来てしまったな、とぼんやりと考えているとふいに背後から声がした。 「ここにいたのか?」 そう言ってジョーは健の隣に立ち、右手を手すりに乗せた。左腕は三角巾に包まれている。健は思わずそれから目を逸らしそうになった。しかし、目を逸らしはしなかった。 「健、良い知らせだぜ。グレン少佐の意識が戻ったそうだ。」 健は急激な安堵感に思わず目眩を覚え、手すりを握りしめた。 「そうか!良かった。」 「真っ先に知らせてやろうと思ってな。」 「ありがとう。」 強い風が健のチョコレート色の髪とジョーのラスティ・ブロンドを踊らせる。2人は黙ってサーチライトを眺めていた。あいつは俺の何なんだろう?と考えてから24時間が経過しようとしていた。長い1日だった、とジョーは思った。だが、健が俺にとって何なのか?という疑問にひとつの答えが出た1日だった。そして、きっと健にとっての俺にも―。もうひとつ、ジョーは健が失いかけていたバランスを取り戻した事が嬉しかった。 健にとっても長い1日だった。そして、健にとってこの1日は自ら選んだ " 正義 " を信じ、その中に答えを見い出そうと改めて決意した意義ある時間だった。 " 正義 " とは何だろう?と、健は考え続けてきた。闘いの中に身を置けば置くほど、答えは遠くなる気がしていた。しかし、白と黒、即ち " 正邪 " は紙一重なのだ。いや、表裏一体であり、互いに二律背反しながらも同じ物なのだ。そのどちらのサイドに立つかによって、白いか黒いかが分かれるだけである。何が正しいのか、何が正しくないのか。それは決して出ない永遠の命題なのかも知れない。だが人は自分が信ずるものを守るために闘わなくてはならない宿命を背負っている。そのために流す涙なら恥ずかしくはない。そのために流す血なら厭うことはない。まして、かけがえのない存在のためならば。 「健・・・」 「うん?」 「俺はおまえを置いて行かないぜ。何があってもな。」 「ああ。」 ジョーは真直ぐに前を向いたまま、続けた。 「だが、健。おまえは俺を置いて行け。それがおまえの闘いなんだ。」 健は俯くと肩を震わせた。しかしすぐに顔を上げ、胸を張ってジョーに向き直ると凛として言った。 「ああ。それが俺の闘いだからな。」 サーチライトの光芒を背にしたその姿には、雄々しい真っ白い翼が翻っていた―。 - THE END - Different stories for different fans . 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